L'ORIGINE~フランス料理の源流~ Paul BOCUSE(ポール・ボキューズ)

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偉大なるシェフは「今」

.29 2010 Paul BOCUSE(ポール・ボキューズ) comment(0) trackback(0)
リヨンから20分。コロンへと着く。
まるでテーマパークのような原色に彩られたポール・ボキューズの世界が眼に飛び込んでくる。
そこには、彼が表現した独自の世界観がある。
彼の大きな遊び心ではないだろうか。

―修業時代について
フランス料理界には、偉大な料理人が3人いた。
Antonin Careeアントナン・カレーム、Auguste Escoffierオーギュスト・エスコフィエ、そしてFernand Pointフェルナン・ポワンだ。
彼等が今日のフランス料理の礎を築いてきた人達だろう。
私の見習いの時代は、ドイツの占領時代で、闇市場がある大変なじだいだったよ。

フェルナン・ポワンについて
フェルナン・ポワンの偉大さは、1948~1950年に、既に今日の料理のビジョンを持っていたことだ。
彼の偉業は、フランス料理に強い力を与えた。

―料理作りで大切な事
良い材料とキッチン、それだけ。

最近はソースを使わない料理も増えているが、
フランス料理においてソースは大切なものであると思う。
メニューは、お客様がどんなものを望んでいるかを考えて作っているよ。

最後に、料理つくりで大切な事。
それは、しっかりとしてものを作る事で、愛情をもって作る事。
悪いものを作る事に、時間を使わない事だ。


話が終わると、彼は「ちょっと、待って」という。
少し待っていると、なんとシェフコートを身に付けて、再び現れた。
そして、外の店の壁画に私を誘い、彼が尊敬している人達を私に紹介して行った。

先ず、Antonin Caremeアントナン・カレーム、Auguste Escoffierオーギュスト・エスコフィエ、そしてFernand Pointフェルナン・ポワン夫妻。

次に、Eugenie Brazierウジェニー・ブラジェ、Troisgrosトロワグロ兄弟、Francois Biseフランソワ・ビーズ、Alain Chapelアラン・シャペル。

最後に、ポール・ボキューズのスタッフと彼のファミリーの壁画だった。
そして、彼が指した方を見上げると、2階の窓には、ボキューズのご両親の絵も描かれていた。

彼はインタビューで
「我々は大きな家族だからね。そして、彼らに敬意を表する事が好きだ」
と述べたものが、見事に表現されていた。

今度は、レストランの中に入り、一角に昔の様々な写真が飾られている部屋へと案内された。
そこには、フェルナン・ポワンをはじめ、Alxandre Dumaineアレクサンドル・デュメーヌ、ウジェニー・ブラジェ、Marguerite Biseマルガリータ・ビーズなど偉大な料理人の姿があった。

彼がいかに、今のフランス料理を創り上げてきた先人達を敬い、
仲間を大切にし、若い人達を育て、フランス料理を発展させようとしてきたかが解かる一日であった。
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フランス料理を世界に広めた巨人ポール・ボキューズ

.08 2010 Paul BOCUSE(ポール・ボキューズ) comment(0) trackback(0)
今から40年前、当時の「ポール・ボキューズ」は現在あるカラフルな建物ではなく、白と茶のコントラストの落ち着いた美食の館であった。

「フランス料理の帝王」と呼ばれた彼のレストランに一歩足を踏み入れると、そこはまさに別世界であった。

PaulBOCUSE2

夜も8時になると、ディナーが始まった。
シャンパンと共にセルヴラ・ソーセージのブリオッシュ包み焼きが運ばれてくる。
リヨン名物のセルヴラ・ソーセージをブリオッシュ生地で包み、焼いたもの
香ばしく焼き上がったサクサクのブリオッシュの中にとてもジューシーなソーセージが入っている。
素朴だが、とても心豊かになる名物料理だ。
(料理の写真は本書に掲載予定)

次に、巨大なキノコのような器が運ばれてきた。
これが有名な「ジルカール・デスタン大統領に捧げるトリュフのスープ」だ。
スプーンでパイ生地を恐る恐る割ってみる。
すると、中からとんでもないものが見えてくる。

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厚切りのトリュフとフォアグラが、これでもかと言う位に入っている。
半分とろけているフォアグラと相まって贅沢の極みとは、この事を言うのだろう。

ポール・ボキューズのメニューは訪れた回数だけ多く手元に残されている。
そのうちの一つを改めてみて、大変驚かされた。
メニューの中に、
・トロワグロ風~
・ベルナール・ロワゾー風~
などと言った3ツ星シェフの名前のついたメニューがずらっと並べられていた。
これを見て私は、彼がなぜ帝王と呼ばれているのかがわかった気がした。
PaulBOCUSE4
(本書には詳しいメニューも掲載予定)

そして、フランス料理大使と呼ばれた彼の行動力は帆のウニエネルギッシュなものであった。
1972年には、銀座レンガ屋のオープンのため来日し、その技を伝えたし、
世界中を駆け回り、フランス料理の奥深さと素晴らしさを伝えていった。

その活動が広がるにつれ、彼への批判もまた、同等に言われるようになった。
「ポール・ボキューズにいつ行っても、彼は不在だ。」
彼はこれらの批判に対して、次の様に言っている。
「私が、フランス料理の普及活動のために、レストランにいない日数は
年間50~60日と決めている。」と
出る杭は打たれるのは、世の常である。

彼の熱き思いの活躍は、世界のメジャー氏に取り上げられていた。
彼の足跡には、美しい花が咲いている事を誰もが認めている。
PaulBOCUSE


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