L'ORIGINE~フランス料理の源流~ 2010年04月

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料理人の王道を歩んだ

.30 2010 PIC(ピック) comment(0) trackback(0)
リヨンより南に1時間30分、落ち着いた街ヴァランスに着く。
建物の入口に何気なくPICと書かれている門をくぐると中庭に出る。
そこからレストラン「ピック」に入っていく。

pic2

キッチンの中は、緊張感があるが空気がとても柔らかい。
ピックは経験者を欲しがらず、未経験の地元の若者を迎えている。そして、一から教えて育てるようにしている。
自分の育てたスタッフをいつまでも雇い続けている。
それが、このファミリーの様な柔らかな雰囲気を作り出しているのだろう。

ジャック・ピックはヴァランスにしか居ない、と言われている。
そして彼はレストランの表に出る事が好きではなく、調理場の仕事をこなしているシェフのひとりであり、当然その腕前も卓越しているシェフのひとりである。

彼はまた宣伝嫌いであり、グルメの間でしか、その店は知られていなかった。

彼の料理は、その独創性の点でも驚かされた。
彼の想像力はいつも仕事に注がれており、失敗する勇気があるといわれている。
そして彼は言う「決して到着点はない。いつもいつも永遠に始まりなのです」と

pic

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料理界の哲学者と呼ばれた感性の料理人

.27 2010 Alain CHAPEL(アラン・シャペル) comment(0) trackback(0)
リヨンからミヨネまでは20キロ足らず。
アラン・シャペルの父親がリヨンの1ツ星レストラン「ラ・メール・シャルル」
を買い取った時から、アラン・シャペルは始まる。

この館はユトリロが描いた事でも有名である。
そして、彼は15歳で国立大学入学資格を得るほど、勉強好きであったと言われている。

彼は、自材料をじっと眺め、発送したものを調理する。
料理すること自体は簡単だと言い切る。
仕入れや、経理などはスタッフに任せる。
それは、自分がただ本当に旨いものだけを作る事に専念するためだ。


alainchapel


父親から常々言われていた事は
雨の日に来たお客様の気持ちを、晴れやかにするような料理作り
これを心がけなければならないと。

そして、彼は
「オリンピック選手は、4年に1度金メダルを取り、成し遂げるが、
私は日に2度づつ、世界チャンピオンで在り続けなければならない。」と
これは全てのオーナシェフに課せられた宿命であろう。

かれは仕事に対して完全主義者であり、また凝り性でもあった。
アラン・シャペルのキッチンは静けさに満ちていたという。
そして、熱い料理が、そのまま熱くテーブルに届けられるという事では
最も優れたレストランであったといわれている。

そして席に着くと、そのお皿にまず目がいく。
なんと八角形なのだ。
今でこそ、様々な形の皿がフランスでは用いられているが、当時は例外なく円形であった。

さらに、お皿のふちに絵柄はなく、中心に花が描かれてあった。
これも通常の感覚でいえば、間逆のデザインであった。
(*本書には、皿の写真も掲載予定です。)

↓アラン・シャペルのメニューはまるでポエムの様だ。
alainchapel

*各レストランのメニューも見開き1ページづつ掲載予定。
もちろん、メニュー内容も読める大きさです。

トロワグロ家の歴史

.24 2010 Les Freres TROISGROS(レ・フレール・トロワグロ) comment(0) trackback(0)
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フランスの中でもっとも充実していた3ツ星レストランのひとつであったトロワグロを育てたのは、
トロワグロ兄弟の父親、ジャン・バチスト・トロワグロであった。

彼は、ブルゴーニュで営んでいたカフェをたたみ、1930年にロワンヌ駅前のホテル・プラターヌを買い取り店を始めた。
ジャンが4歳、ピエールが2歳のとき、夫妻は子供たちが伸び伸び遊べる地として、この地を選んだのだった。

ジャン・バチスト、彼は料理人ではなかった。
妻が全ての料理を作っていた。
彼の仕事は、サーヴィスやワイン選びが中心であったが、一方鋭い味覚と料理感覚とを持った人でもあった。
いつも「料理とは素晴らしい自然の恵みである。地の糧を反映したハーモニーでなければならない」と語っていた。

料理に関して優れた直観力を持つ彼のアイディアは、後のトロワグロ兄弟の料理に多大な影響を与えている。

また、トロワグロでは客まで皿に盛り付けるゲリドンサーヴィスをしなかった。
料理は盛り付けに至るまでが料理人の責任者だというのが、彼の持論だからだ。
意味のない演出を避け、本当に意味のあるものだけを深く追求する事を教え、あくまで素材そのものの味を活かした的確な料理、それを目指した。

そしてトロワグロから大きな影響を受けた料理人達がいる。
「ラ・コート・サンジャック」のジャン・ミシェル・ローラン、「ラ・コート・ドール」のベルナール・ロワゾー、「ジラルデ」のフレディー・ジラルデである。
これを見るだけでも、トロワグロが現代フランス料理において果たした役割は、あまりにも大きい事がわかるだろう。

今は、ピエール・トロワグロの息子ミシェル・トロワグロが
オーナーシェフとなり、この輝かしい美食の館で「トロワグロ」の料理を作り続けている。

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*写真中央がジャン・バチスト・トロワグロ、右がジャン・トロワグロ、左がピエール・トロワグロ。

なんとか・・・

.22 2010 今日のろりじん君 comment(0) trackback(0)
昨日21日に本書で取り上げさせて頂いているシェフの方々に会いに、
ろりじん君はフランスへ旅立ちました~

みなさん、ご存じだと思いますが、連日報道されているアイスランドの火山の噴火で
本当にぎりぎりまで行けるのか、その前に飛行機が飛ぶのか、という不安がありました。

でも無事、出発日から徐々に飛行機の混乱が収束に向かい、
なんとかフランスに行く事が出来たみたいです

これもL’ORIGINEの持つパワーなのでしょうか。
そういう事にしときます

きっと、帰ってきたらまた原稿が増えて、
今でも内容がパンパンなのに、これ以上増えたらどうなるんだ?
という不安もいっぱいです

でも、それよりも、
シェフのお話とか、面白いものがいっぱい来るんだろうなって言う期待の方が大きなかな

お楽しみに

珠玉の美食の館 トロワグロ兄弟

.20 2010 Les Freres TROISGROS(レ・フレール・トロワグロ) comment(0) trackback(0)
トロワグロ」それは、私の中で「最高の味」と同じ意味を持っている。
その言葉を口にする時、もう話さないではいなられない。極上の味がよみがえってくるのだ。


リヨンから専用バスで約1時間30分。
ロワンヌという田舎の駅に「トロワグロ」はあった。
それは3ツ星の美食の館という雰囲気ではなかった。肩の凝らない落ち着いた駅前のホテルであった。


ホテルに着き、一息ついた後、トロワグロのキッチンを見学させてもらった。
「未来のキッチン」と呼ばれているそれは、我々の想像をはるかに超えたものであった。
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ぴかぴかに磨かれたキッチンは3ツ星レストランでは当たり前だが、それだけではない。
一方の壁が、開放的なガラス窓で外の緑が美しい。
そして、キッチンのテーマカラーはワインレッドである。
毎日モップで天井までも掃除するとの事。キッチンの火も電気が多用されている。
料理人であれば、この快適なキッチンで仕事をすれば、どれ程気持ちよく仕事に打ち込めるかは明白である。
日本のキッチンの発想と、まるで違う未来のキッチンの姿がそこにはあった。
皆、カルチャーショックで声も出ない。

兄のジャンは「ソースの神様」と呼ばれていた。
その物静かなまなざしと顔半分を覆っているグレーの豊かなひげとで、まるで哲学者の様な雰囲気を醸し出している。
弟ピエールは「肉の名人」として知られている。
丸々と肥った温厚な料理人で、温かく我々を包みこんでくれる。
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夜になり、スーツに着替えて1回のレストランの席に着く。
やはり3ツ星レストランの緊張感はない。ジャンパーで食べに来ている人もいる。
ドアが開いて、花売りが入ってきた。あまりにも思いがけない情景に戸惑っていると、次には新聞売りも入ってくる。
ここは、まさに駅前ホテルなのである。

トロワグロで驚かされた事が、もうひとつある。
赤ワインが冷やされて出てきた事だ。
赤ワインは常温で楽しむという我々の常識は見事に覆された。
これは、彼らの父、ジャン・バチスト・トロワグロが実行していたもので、当時他の3ツ星レストランでは行われていなかった。
古いヴィンテージのものは別だが、トロワグロでは、赤ワインは大体12~14℃でサーヴィスされていた。
食事中のワインとしては、とても飲みやすかった事を覚えている。



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